東京義賊ブログ

頑張っている途中が一番輝いている瞬間です。つまり頑張っても未来は暗いです。

目の前で頑張っている人に、ついつい心を動かされてしまうものです。

若いうちは特にその恩恵に預かることができるでしょう。

努力をして、結果を出そうと、汗をかいている人をみて感動するのは人間として普通のことですし、我々パフォーマーはそれをツールとして使うこともありますね。

で、難しい技とか、危険な技とか、そういうのに挑戦する感じの技や構成って盛り上がるし感動しやすいから取り入れている人が多いと思うんだけど、本当にギリギリ成功するかどうかの技を毎回やっていくうちに上手になっちゃって、「ギリギリ成功するかどうかなんですー」なんて言ってもチャラい感じになって、感動してもらえなくなったりするのわかるかな?

頑張っている途中が一番輝いている瞬間です。つまり頑張っても未来は暗いです。

「ヤッター!出来たー!」って感じでやってたのに、上手になると

「ヤッター!出来たー!って感じでやってるよ!」になっちゃうの。

で、どうするかっていうと、単純に技を難しくすれば、また必死な感じに戻れるから感動してもらえて、盛り上がりやすくなる。

盛り上がる=(いこーる)=お金になる

という側面もあるだろうし、難易度があがるのは良いことかもしれない。

で、前よりも難しい事をやったりするようになっていくんだけど、これって限界あるよね?
難しくなったり、危険になったり、苦手な事に挑戦したりして、演技ではなく素で真剣に挑戦する姿をみせていくのは限界がある。

でも、演技しようとすると

前述の

「ヤッター!出来たー!って感じでやってるよ!」になっちゃうの。

そこで、そうならないようにどうやって演技構成、顔やトーク、間をつくるかっていうと、自分にとって難しくない技でも、失敗したら死んじゃうってくらいのイメージをつくりあげる。

例)なんか地面にトゲトゲがあって、サメも空を飛んでいて、炎がボォボォなってて、なんか爆弾なんかもあって制限時間内に成功しないと爆発しちゃうみたいな。

やばいよね。死んじゃうよね。

この状況なら、やっている技がお茶の子さいさいでも、顔や動き、間、汗、全てが必死になって集中して成功させると思うんだよ。

で、このイメージの自分をしっかり覚える。

顔の力の入り方とか、大きく聞こえる心臓の音とか、緊張しすぎて胃が痛くて寒気がしてくる感覚とか、そういう動物の本能みたいなリアルな感覚をしっかり覚える。

でね、でね、その感覚は覚えていつでも出せるように引き出しにしまっておくんだけど、こころの底からそれになるんじゃなくて、自然と「やばいね死んじゃうね成功させないとドキドキ」の身体表現だけを心と切り離して出せるようにしておくと便利。

つまりさ、さっきの

の自分だけをコピーして、別の環境で出すわけ。そうすると

こんなふうに、必死な自分が出来上がるのさ。

そもそも「頑張っているから感動するよね」なんて理論は、たくさんある法則のうちのひとつでしかないから、そこに固執するのもダサいんだけど、ツールとして使うのは大いに結構な事だと思う。

ただ、プロである以上、

『限界ギリギリ頑張る』ではなく

『限界ギリギリ頑張る風(ふう)』のエンターテイメントとして、コントロールすべき。

意図的にツールとして、表現として、「感動」や「共感」、憂いや悲しみでも良いと思いますが。

もちろん本気でやらないと伝わらないんだけど、100%じゃなくて100%風にして、自分自身を俯瞰で見れる感覚を残しておくと、その中に観客の気持ちの揺れ動きや空気感、様々な事柄を同時に感じ、考えながらパフォーマンスすることで、その瞬間にしかない最良のパフォーマンスができるよ!